映画『天気の子』で思うこと

アニメ

金曜ロードショーで放送されるようになった『天気の子』。劇場公開時私も見に行きました。

確かに綺麗に終わってはいるのですが、あまり話に乗れなかったのでその理由を自分なりに考えたものを書いていきたいと思います。

肝心の本編は見逃してしまい映画館で見た記憶を頼りに書いているので、間違っている点や見落としたところがあるかもしれないことをあらかじめご了承ください。

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帆高と陽菜の心情について

物語は帆高が一人で家出するように東京に出るところから始まり、ネット喫茶で暮らしながら仕事につけない帆高が描写されます。

帆高はあきらめて地元に帰ろうとせず東京にいることにこだわりますが、その理由が分からないまま進んでいくのがまずそこで躓きました。

田舎の村社会が嫌だとか親と仲が悪いといったものはなく、思春期をこじらせて親に無断で東京に行きたくなったというようなものもなく、ただ苦労する帆高が描かるので感情移入や物語への期待感を、「どうして東京にこだわるのだろう」という疑問が上回りました。

この疑問というのは陽菜も同じです。陽菜は両親を亡くしてから小学生の弟と2人暮らしで、児童相談所の介入や支援を断っていましたが、それが何故なのか分からないまま話は進みました。

陽菜が家族を大事にしているキャラクターであることは劇中の描写からも分かりますが、児童相談所経由で養護施設に引き取られたら、離れ離れになると決まっていたわけでもないのです。

陽菜自身が大人や児童相談所を信用できない理由や根拠とったものがあれば変わってきますが、そういったものは描写されません。

陽菜については帆高が拳銃を取り出し実弾を撃つのを見ているのに、自分の身の危険を感じたりせずファーストフード店でちょっと話したことがある程度の帆高を受け入れたことにも違和感がありました。

店での帆高の様子から『自分と同じように大人を頼れない人物なんだろうと同情していたのでは?』と推測することはできますが、これは妄想のようなもので拳銃についても2人の間で話したりせず物語は進みます。

これらが合わさって序盤から引っ掛かりを感じながら映画を見ていました。

終盤になると帆高と陽菜は陽菜の弟を加えた3人で逃避行を始め、徐々に追い詰められる描写が始まりますが帆高の家出は理由の分からないものですし、陽菜が今住んでいるアパートを捨ててまで弟と一緒にいたい理由も描かれません。

弟と離れ離れになるのが嫌なのに加えて、天気を操る力の副作用でヤケになったとも考えられますが、穂高に付き合って逃避行を始める動機についてもっと分かりやすく見せてほしかったですね。

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終盤からラストにかけて

陽菜が生贄になるような形で雨雲はなくなり天気は快晴になりますが、そんな状況に納得しなかった帆高は、陽菜が天気を操る力を手に入れた鳥居から陽菜を連れ戻します。

その結果東京は雨が降り続け、住めない地域も簡単に描写がありました。

誰かを生贄にしたりせず現状を受け入れて生きていこうということなのでしょうが、帆高を始め誰1人苦労しているように見えないので、見ていて頭に?マークが浮かびました。

陽菜は自分から犠牲になることを選びましたが、それを否定して穂高と一緒に雨が降り続ける東京に戻ります。

劇中の台詞を真似れば狂った世界で生きていくことを選んだのですが、そんな世界で不都合を感じるキャラクターが出てこず、冷静に受け入れたキャラクターばかりなので2人の選択に重みというものは感じられませんでした。

U-NEXTの紹介には『天候の調和が狂った時代。新海誠が描く、少年少女の運命の選択と美しく切ない恋の物語』とありますが、運命の選択や美しく切ない恋の物語と表現できるほどのものは感じられません。

帆高は拾った拳銃を隠し持ち警察相手に暴れたりしましたが保護観察処分で済み、帆高が住み込みで働いていたオカルト雑誌社の2人も、帆高が警察から逃亡するのに協力しましたがそのことで何らかの罰則を受けたように見えず、それどころか住居兼職場の古びたマンションから綺麗なオフィスに職場環境が変わっています。

陽菜に至ってはどんな生活をしているのかさっぱり描かれません。

現状を受け入れていくという話なら帆高と陽菜の選択の結果、不便で不都合になったマイナスの部分も挟むべきではという印象を受けました。

  • 個人には大きすぎる特殊な力を手に入れそれに振り回される物語としてみると、帆高が陽菜を連れ戻したあの空間は何なのかという話になり、天気を操る力を含めSF面の描写の薄さが引っ掛かります。
  • 少年少女が大人や社会に反発する物語としても、反発する理由や動機がはっきりしないまま話が進みます。
  • 劇中のキャラクターに生活が不便になった描写ないので、奇跡が起きることを待ったり誰かを犠牲にしたりせず現状に折り合いをつけて生きていく話としても中途半端です。

つまらない映画ではないのですが様々な要素が入り混じった作品としてもどれも中途半端な印象が否めません。

どこに視点をおいて見ればいいのか分からず、映画のスタッフロールが流れたときは感動や充実感といったものより、「つまりどういうことなんだろう?」という疑問が先に浮かびました。

このツイートのリンク先の記事によると帆高が家出した動機はあえて描かなかったそうですが、そうしたため帆高が帰りたがらない理由付けが上手くできなくなった印象を受けます。

©2019『天気の子』製作委員会

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