1997年にセガサターンで発売、後にプレイステーションに移植され、2018年に2とセットでHDリマスターが出たグランディア。
プレイステーションに移植された1999年にノベライズされ、角川スニーカー文庫から3巻出版しています。
このノベライズは原作を元にしつつあちこちアレンジされたものであり、ゲームではあまり触れられなかった部分の掘り下げもありました。そんな本作の印象に残ったところを1巻を中心に取り上げつつ、グランディアの世界観も解説します。
世界観について
- たくさんの冒険者が人々の住む世界を広げた時代は『世界の果て』と呼ばれる巨大な壁によって終わりを告げる。
- 『世界の果て』発見後、人々は豊かな暮らしを求めるようになり、まことしやかに語られていた古代文明エンジュールの存在も人々の記憶から忘れられるようになった。
- そんな時代の工業化の進んだパームの街に住むジャスティンは、父の形見である精霊石がエンジュールへの手掛かりになると信じ、冒険の旅に出る。
以上がグランディアのゲーム開始時の設定です。
主人公のジャスティンが旅に出る切っ掛けはゲームと小説で違いはありませんが、ゲームでは『世界の果て』発見により大航海時代は終わり、産業革命の時代へ変わったと書いていました。
ジャスティンはパームの街の近くにあるサルト遺跡でリエーテというキャラクターのホログラムと出会います。元々冒険への強い思いのあったジャスティンはこの出来事をきっかけに冒険に出ることを決意しました。
冒険者協会
パームの街を出てニューパームの街へ向かったジャスティンは、ニューパームで冒険者協会を訪ねます。
その道中の船旅で冒険者のフィーナと出会い、船に近づいてきた遭難船絡みのトラブルを解決し、意気投合して冒険協会とは関わらず一緒に冒険することにしました。
というのも冒険者協会はすでに冒険者のためのものではなく、観光や旅行を冒険として一般人に提供するものに変わっていたからです。
ゲームでは『世界の果て』が見つかり会員数の数が減ったため、観光事業で立て直したという経緯が明らかになるのですが、本作では他にもエピソードが。
- 『世界の果て』に挑んだ冒険者は誰も帰ってこなかったため、残された家族や友人の語る悲しみの声が大きくなっていった。
- 冒険者協会が『世界の果て』への挑戦を禁止したことで、冒険者を廃業する人が増えた。
- ジュール財団とガーライル軍の協力が得られなくなり、戦力と経済の2つの面で支援がなくなった。
『世界の果て』が見つかった結果、これらの出来事が起きたとフィーナの口から語られます。
とはいえフィーナにとっては冒険に必要な知識を勉強できる場であり、冒険で生計を立てられなかった時期はツアコンとして働いていたこともあるため、完全に形骸化したわけではないという立ち位置でした。
ジュール財団はパームの街の発展に貢献した財団であり、ガーライル軍はジュール財団の私設軍隊です。
ジュール財団はゲームでも本作でも名前くらいしか登場しませんが、ガーライル軍はジャスティンの行く先々で現れ敵対するのはゲームと変わりません。
コミュニケの実
本作独自の要素としてコミュニケの実を挙げることができます。
これを食べることで異なる言語でも理解できるようになるのですが、相手の言葉を理解できるだけで、自分の言葉を相手が理解することはできません。
コミュニケの実を食べて会話を成立させるには、お互いにコミュニケの実を食べる必要があります。
このコミュニケの実を、ジャスティンたちはレムという亜人の少年から受け取り食べました。
レムはガーライル軍によって檻に閉じ込められていて、同じくガーライル軍に捕まり牢に閉じ込められていたジャスティンたちと一緒に脱獄します。頭に角が生えていて言葉の通じないレムは、ガーライル軍内で人間扱いされておらずケモノ扱いでした。
コミュニケの実はその後も登場し、ジャスティンたちが『世界の果て』を超えた先でも、言語の違う複数の部族の間のかけ橋になる存在として語られます。
レムは『世界の果て』の手前にある霧の森に住んでいて、脱獄後ジャスティンたちを村に招くのはゲームと同じ流れですが、それ以降出番のないゲームに対し、本作ではパームの街まで冒険に出て、ジャスティンの幼馴染であるスーと一緒に再登場します。
スー
スーはジャスティンの幼馴染ではあるものの、14歳のジャスティンや15歳のフィーナに対し8歳と幼く、ジャスティンから冒険への動向を断られ、船に密航するかたちで強引についていきます。
ゲームでは序盤から仲間であるスーは、本作ではジャスティンのストッパーでした。
ジャスティンたちは冒険をしているため危険な目に遭うのですが、その際「自分に何かあったらスーはどうなる?」という考えが働きます。
そのためスーの言動や存在はジャスティンが無謀なことをしないきっかけになりますが、スーが危険な目にあったりスーがいないのときはストッパーが機能せず、無謀な行動をとります。
そんなスーはジャスティンやフィーナと一緒に『世界の果て』に挑む際、今履いている靴を捨て、『世界の果て』を登るのに向いた靴を履くようフィーナに言われました。
スーはパームの街を出たときの服で、今でも持っているのは靴と下着だけなので嫌がり、ジャスティンがフィーナに黙って自分のリュックの底にスーの靴を隠すというアイディアを思いつくエピソードがあります。
『世界の果て』関連は本作の中でもオリジナルのエピソードが多く、『世界の果て』についてもすぐには登らず、フィーナの指導の下で崖登りの訓練をするところから始まりました。
実際に上り始めてからも最初のうちは登るほど景色が変わるので、それを楽しむことができる余裕があったのですが、登ることで段々と寒くなり地面や壁に霜ができるようになります。
そのため1日の間に登れる距離は小さくなり、木の実やモンスターといった食料になるものも取れなくなるため、3人は無言で『世界の果て』を登る描写がありました。
ゲームでも登ったことを後悔するエピソードがありますが、もっと踏み込んだ描写になっています。
小説版ではジャスティンがあきらめを口にした際、フィーナが怒ることで弱音を吐かないジャスティンを支えに登っていたことが明らかになり、ジャスティンは冒険者の先輩であるフィーナが、精神面で自分を頼りにしていたことを知るというエピソードもありました。
リエーテ
『世界の果て』を超えた後も様々な冒険や出会いがあり、やがてジャスティンはリエーテに出会い、リエーテはジャスティンたちの冒険に同行することに。
これはゲームと同じで、リエーテはゲームでは最後に仲間になるキャラクターです。
長い時を生きる知識の神官という立場もあり神秘的なキャラクターではあるものの、それだけではなくおっとりとした一面もあるのですが、本作では登場するのが3巻目の50ページを過ぎたところなのもあり、そういった面はほとんど描かれません。
その代わりに自分の知識を他人に披露できることに喜ぶ描写がありました。またリエーテは最後の戦いに参加する際に印象に残る台詞を言います。
長年世界を眺め、人々の行いに喜んだり、悲しんだり。
おおむね悲しむことばかりだったのですが、自ら何もせず批判がましいことばかり記録しているのには、もう飽きました。
そろそろ自分が、歴史の登場人物になっても、いい頃合いです。
たとえそれが、後世忘れ去られるような、ささやかな端役にすぎないとしても。
SNSで他人の出来事に一喜一憂していると、この言葉が刺さります。
自己犠牲
本作では自己犠牲について触れるエピソードが多くあります。2巻では誰かが犠牲になることが前提で話が進み、ジャスティンがその対象になるかもしれない状況になりました。
フィーナは止めるのですがスーというストッパーがいなくなり、ジャスティンは無自覚に英雄願望があったため死ぬかもしれない行動をとり、上手くいったあとでフィーナに怒られます。
フィーナは遭難船でのジャスティンとの会話からも、自分から命を絶つことに否定的ですが、フィーナ自身が自己犠牲を選んでしまう状況になり、それを止めるというのが終盤の軸の1つになりました。
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